カナダデーって何だ?| カナダの建国・独立問題に迫る

カナダでは7月1日が重要な祝日とされています。日本語では、書かれている媒体によって違うのですが、「カナダの日」「カナダデー」と言われるようです。

この日は建国記念日という事になっています。ただ、私たちがイメージするような建国記念日とは、少し違うようです。

このページでは、そのあたりの事情について、簡単に確認してみましょう。

カナダデー

The Snowbirds on Canada Day celebrations in Ottawa, 2008

カナダデーは何を祝った日?

1867年7月1日に、ノバスコシア、ニューブランズウィック、ケベック、オンタリオの4州からなる、連邦制のカナダ自治領ができました。英語ではDominion of Canada と言います。

自治領ができたということは、まだ、カナダという国ができたわけではありません。現在のカナダの一部にあたる植民地で、一定の範囲内で自治が認められたという事ですね。

ですから、この日を建国と言ってしまうのは、ちょっと違和感を感じる部分もあるわけです。まあ、自治領になったという意味では、建国と言えなくもないかなあという感じでしょうか。

自治を認められたのは1867年以前から

さらに言うと、これ以前にすでに、オンタリオとケベックをあわせたカナダ植民地というイギリスの植民地がありました。そこでは、一定の自治は認められていたようです。

その植民地にニューブランズウィックとノバスコシアを加えて自治領ができたという流れです。これが1867年ですね。

ということは、カナダで自治を認めたのは、ここが初めてというわけでは無いようです。となると、やっぱり、7月1日が建国記念日というのは、ちょっと違和感を感じます。

カナダ自治領の憲法にあたる法律

1867年に自治領を作るのに合わせて作られた法律を、英領北アメリカ法と言います。当然、イギリスの法律です。これは、カナダ自治領の憲法にあたる法律です。

つまり、カナダ自治領というのは、その憲法をイギリスに決められていたわけです。これで建国と言ってしまうのは、やっぱり引っかかるんですよね。

イギリス連邦に入りイギリスと対等に

また、このとき(1867年)にはカナダには外交権がありませんでした。

カナダが外交権を持ったのは、1926年です。アーサー・バルフォアの報告書がきっかけになっているようです。

アーサー・バルフォアは、バルフォア宣言で有名な人ですね。パレスチナにユダヤ人の居住地を作るという約束をした、例のやつです。のちに三枚舌外交と非難される。

1931年12月11日にウェストミンスター憲章で、イギリス連邦ができます。また、イギリスと対等な主権を持つことが定められています。これは、1926年のバルフォア報告書がもとになっています。

ただ、この時点でも、カナダは自主憲法を持っていませんでした。また、かなり高度な自治を認めらえていましたが、自治領であることも変わっていません。

完全に独立したのは1982年

完全に独立したとされるのが1982年です。はっきり言って、つい最近です。

1982年カナダ憲法というのが制定され、イギリスから憲法改廃権を完全移換しています。要するに、イギリスに勝手に憲法を変えられなくなったわけです。

結局、カナダの建国と独立はいつ?

このように、どのタイミングでカナダの建国・独立とするかは、かなり難しい問題なのです。



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